輪島功一と輪島大士は親戚関係だった?ボクサーと横綱の親交

ボクシング

輪島功一さんはスーパー・ウェルター級(当時ジュニアミドル級)でWBAとWBCで世界王者になった名ボクサーです。

独特な喋り方や風貌で、テレビにもよく出ているのでご存知の方も多いでしょう。

一方、輪島大士さんといえば第54代横綱で、優勝回数14回で歴代横綱の優勝回数では第7位にランクインしている大横綱ですね。

この偉大なレジェンドのお二人の関係ですが、結論から言うと「従兄弟という設定」ということだったようですが、ちょっと興味を引く面白い関係でもあります。

気になったので調べてみました。

是非最後までご覧下さいね。

輪島功一と輪島大士の現在は?今なにをしている?

今更ながらですが、ボクサー輪島功一と横綱輪島のお二人のプロフィールを簡単に確認してみましょうか。

輪島功一のプロフィール

輪島功一さんですが本名は輪島公一で、普段は輪島功一と表記されていますね。

1943年(S18年)4月21日生まれで、2021年現在79歳です。

出身地は日本かと思いきや、ロシア(当時ソ連)にどさくさ紛れに強奪されてしまった樺太生まれで、育ちは北海道士別市です。

旗の立っているあたりが樺太

先日のヤフー・ニュースで見かけたのですが、輪島功一さんは「輪島功一スポーツジム」の会長を勇退されて、次男に引き継がれたそうですね。

元WBA・WBCスーパーウエルター級王者の輪島功一さん(78)が、高齢のため自ら設立した輪島功一スポーツジム(東京・杉並区)会長を勇退した。ジムは次男で同ジムトレーナーを務めていた元プロボクサーの大千(ひろかず、44)さんが引き継ぎ、東日本ボクシング協会も14日開催された理事会でこれを承認した。

次男の大千さん(左)

出典:中日スポーツ(2021/4/14)

ボクサーとしての階級はスーパー・ウェルター級(約69kg)で、2021年9月現在WBAミドル級世界チャンピオンの村田諒太さんの1階級下のクラスになります。

*22年4月9日、GGGことゲンナジー・ゴロフキン戦で9回TKO負けでWBAのタイトルを奪われてしまいましたね。

日本人でこのスーパー・ウェルター級で世界チャンピオンになったのはこれまで、輪島功一さん、工藤政志さん、三原正さん、石田順裕さん(暫定)の4名のみ。

有名どころですと、アジアの英雄ことマニー・パッキャオやフロイド・メイウェザーJr.が主戦場として戦っていた階級です。

マニー・パッキャオ

メイウェザーJr.

それを考えると、とんでもない階級で試合をしていたんだな、とつくづく思います。

輪島大士のプロフィール

一方、横綱の輪島さんは本名、輪島博で石川県七尾市のご出身です。

1948年(S23年)1月11日生まれですが、2018年10月8日に「下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱」で亡くなられています。

もし現在ご健在でおられたとすれば、今年で73歳になられているはずですね。

身長185cm、体重132kgで「黄金の左」と言われた「左下手投げ」は輪島の得意技です。

憎たらしいほど強いと言われた横綱・北の湖と当時唯一の対抗馬であった横綱・輪島の対戦は千秋楽を飾る名一番でした(輪湖時代と言われてましたね)。

北の湖 vs 輪島の対戦成績は、輪島の晩年の印象のせいか北の湖にかなり負け越している印象ですが、実は輪島の23勝21負で北の湖に勝ち越しています。

これは調べていて少し意外でした。

輪島(左)北の湖(右)

輪島大士のプロレスラー時代

横綱輪島は相撲引退後にもともと所属していた花籠部屋(はなかごべや)の親方となりました。

しかし、年寄株をめぐるトラブルが原因で相撲界から廃業せざるを得なくなりました(若い方はご存じないかも知れませんが)。

※年寄株をご自身の妹のお店の担保として使ってしまっていたそうです。

その後、親交のあったジャイアント馬場さんからの誘いで、全日本プロレスへ入団します。

輪島さんと馬場さん

当時、輪島大士は38歳で、周囲からは「無謀」とか「自殺行為」と言われ、週刊誌やメディアの格好のネタになっていましたが、多額の借金を背負っていた輪島にはこれしか手が無かったのかも知れません。

相撲で鍛えられた肉体と真面目にトレーニングに取り組む姿が評価され、ジャイアント馬場さんは輪島大士のデビュー戦の相手としてインドの狂虎こと「タイガー・ジェットシン」との対戦を組みました。

輪島大士を売り込むための、ジャイアント馬場さんが考え抜いたプロデュースだったのでしょう。

輪島大士の当時の必殺技は「ゴールデン・アームボンバー」という、名前とは裏腹にかなりシュールな技でした。

タイガー・ジェットシン

タイガー・ジェットシンは、試合はいつもメチャクチャで確かに「狂虎」に相応しい暴れっぷりでしたが、プライベートは超絶インテリなビジネスマンでも有名で、いつもスーツにネクタイ姿でジャイアント馬場さんに接していたそうですね。

私の邪推ですが、輪島大士のデビュー戦ではジャイアント馬場さんからタイガー・ジェットシンには細かな指示があったと予想しています。

結果は、5分55秒・両者反則という裁定でした。

いまみても、タイガー・ジェットシンの輪島大士を引き立てようとするテクニックや演技が上手く、流石エリートビジネスマンと言わざるを得ませんね。



輪島功一と輪島大士は親戚関係?

これは冒頭でも触れましたが、「親戚関係」というのは、お二人がもともと親友関係だったため、そのような設定で売り出したというのが本当のところのようです。

しかしながら、のちに輪島功一さんが「従兄弟の関係」と訂正しています。

当時、2人は全く面識はなかったが、同姓の人気者が頂点に立ったことを機に、関係者がルーツを探ったところ「輪島水軍」へたどりつき、輪島さんの父方のまた従兄弟だったことが判明したという。

出典:サンスポ

 



心折れそうなときは輪島功一vs柳済斗を観ろ!

涙なしには見れない、輪島功一さんのこのド根性。

凄まじいです。

簡単に人生を諦めたり、自殺したり、電車内で刃物振り回したくなったら、男ならまずはこの試合を黙ってみなさい!

輪島功一、絶対不利と言われた柳済斗(ユ・ジェドゥ/りゅう・さいと)戦。

最終15R1分35秒、あとがない輪島功一の渾身の右ストレートが炸裂し柳済斗がダウン。

立ち上がるものの、柳済斗陣営が試合を止め、輪島功一が奇跡のタイトル奪還の瞬間です。

「歯食いしばって頑張ってみるかな」と思える名勝負です。



まとめ

ここ10年くらい、日本は世界チャンピオンが多く誕生してボクシングブームが続いていますよね。

PFPにランクインする井上尚弥やミドル級世界王者の村田諒太、最近はいぶし銀な老獪さで勝負するようになった井岡一翔など名王者が多いです。

テレビでは面白いネタキャラとして扱われる輪島功一さんは、実はとてつもなく強く凄い世界チャンピオンだったということと輪島大士さんは波乱万丈な人生だったということ、この2つをお伝えできたとすれば、この記事の役目は果たせたかな、と思いますね。

輪島功一さんがボクシングを始めたのは25歳の頃ですし、カルロス・ボッシとかオスカー・アルバラード、柳済斗、こんな世界チャンピオンと戦って勝利してきた輪島功一さん。

横綱輪島が亡くなったときに「なんで俺よりも先に逝くんだ!」と怒って、「天国から今度は俺が来るのを待ってるのかも」と話されたそうですが、ファンとしては冗談じゃありませんよ。

あと30年は生きててもらわないと。

輪島さん、柳済斗に勝利したガッツでいつまでも元気で居てくださいね!

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。

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