大村雅朗の結婚(嫁)と子供は?松田聖子の櫻の園に託した思いは?

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福岡市出身の「天才アレンジャー」と呼ばれた大村雅朗(おおむらまさあき)さんという編曲家をご存知でしょうか。

どちらかというと、編曲家は歌手や作詞家や作曲家に比べれば陰の存在と思われがちです。

大村さんに多くの曲を手掛けてもらった松田聖子さんは、かつてこのようなことを述べていました。

バラードのアレンジは、本当に美しく切なく、そして繊細で素晴らしいです。アップテンポの曲はスピード感があり、おしゃれで、とても素敵なアレンジばかりです」(松田聖子)

<引用>西日本新聞

そんな謎のベールに包まれた、早逝の天才編曲家・大村雅朗さんの結婚(嫁)や子供、簡単な経歴とプロフィール日本3大編曲家遺作「櫻の園」などについて調べてみました。

是非最後までご覧下さいね。

大村雅朗の経歴とプロフィール

大村雅朗さんは1951年(昭和26年)5月8日生まれで、福岡県福岡市の出身、もし生きていれば今年69歳になっていました。

しかしながら1997年(平成9年)6月29日、肺不全のため46歳の若さで逝去されています。

大村雅朗さんは京染店経営の家庭の5人兄弟(兄・姉3人)の末っ子で次男として生まれました。

家族構成ですが、父親・清太郎、母親・ツネ、長男・芳正、長女・紘代、次女・珠代、三女・有喜代さんの7人家族です。

嘉子夫人(左)兄の大村芳正さん(右)

地元の小学中学高校を卒業後、ポピュラー系の指導者を育成する音楽学校の「ネム音楽院」(現ヤマハ音楽院)の一期生として入学し、優秀性として卒業されています。

大村雅朗さんが福岡から上京し、本格的に編曲家デビューを果たしたのが1978年のことです。

編曲家として20年足らずの間に手掛けた曲はざっと1600曲にも上ります。

1978年八神純子「みずいろの雨」(編曲)で一躍有名となり、特に1970年代から80年代アイドル全盛期にヒットチャートを席捲しました。

このようなハイトーンボイスで、音源以上のボーカルの八神純子さんですから、この人と比較されてしまう歌手はお気の毒としか言いようがありません。

松田聖子さんの歌唱力ですら「イマイチ」感の雰囲気でしたから、何ともまぁスゴイ時代でした。

そして、1983年松田聖子「SWEET MEMORIES」(作・編曲)が第25回日本レコード大賞で編曲賞を受賞。

八神純子「パープルタウン」(編曲)、大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」(編曲)、原田知世「早春物語」(編曲)、 渡辺美里「My Revolution」(編曲)など数々の曲を誕生させたことでも有名です。

大村雅朗の愛称は「バク」?

この愛称は動物で、夢を食べるといわれている「獏(ばく)」に由来すると、当時も思っていた人が多かったようですが、大村さんが上京時に飼っていた猫からつけられたようです。

というのも「大村に寄生している猫」という意味で「バクテリア」⇒略して「バク」となったとのこと。

大村さんが飼っていた猫の本当の名前は「アマンダ」です。

大村さんは猫好きだったようです。



大村雅朗の結婚と子供は?

松田聖子(左)大村雅朗(右)

天才アレンジャーとして名を馳せた偉大な編曲家の大村雅朗さんは生涯結婚することはなく、独身を貫いており、子供もいません

編曲家として精力的に曲を作っていたので、お付き合いする女性くらいはいたのかも知れませんが、結婚には至っておりません。

また、何か女性スキャンダルのような逸話もありませんので、編曲活動一筋だったのだろうと想像しています。

大村雅朗が編曲を手掛けた歌手は誰がいる?

下に記載しているリストはごく一部です。

特に有名なのが「八神純子」さん「松田聖子」さん「渡辺美里」さんでしょうか。

アグネス・チャン 指定席
岡田有希子 リトル プリンセス
辛島美登里 瞳・元気〜都会のひまわり〜
倉田まり子 イヴニング・スキャンダル
桜田淳子 ミスティー
松田聖子 SWEET MEMORIES
八神純子 みずいろの雨
渡辺美里 My Revolution

大村雅朗と松田聖子「櫻の園」

冒頭でも少し触れましたが、大村雅朗さんは46歳の若さで1997年に亡くなられています。

そのとき「聖子ちゃんに歌ってもらいたい」として遺した遺作があります。

このことを松田聖子さんは知らなかったそうです。

「でね、その曲が大村くんが書いた曲だってことを聖子さんはずっと知らなかった。若松さんも彼女に言いづらかったのだと思う」(松本隆)

<引用>作編曲家 大村雅朗の軌跡 1951-1997

その作曲作品「櫻の園」は、友人であった作詞家の松本隆さんに託されていた曲です。

早世した大村さんの死を悼むような詞が松本さんにより付けられています。

この曲は松田聖子さんの通算32枚目のオリジナルアルバムである『永遠の少女』(1999年12月18日発売)に収録されています。

松田聖子さんご本人の動画が見付からないので、ピアノ曲ですが雰囲気は伝わるかと思います。



大村雅朗を含めた日本3大編曲家は誰?

日本3大編曲家のうちの1人が「大村雅朗」さんであるとすれば、残りのお二人は誰でしょうか?

まず、もう一人は「萩田光雄」さんでしょう。

残るは「船山基紀」さんでしょうか?

これについては他のご意見も様々かも知れませんが、とりあえずここでは日本3大編曲家として、大村雅朗さん・萩田光雄さん・船山基紀さん(50音順であり優劣ではありません)をご紹介します。

編曲家:萩田光雄(はぎたみつお)

萩田光雄(はぎたみつお)さんは1946年(昭和21)6月16日生まれの現在74歳で、静岡県出身です。

1976年には「メランコリー」(梓みちよ)で2年連続して日本レコード大賞・編曲賞を受賞されています。

最近のご活躍についてあまりネット上になかったのが少し気になりました。

編曲家:船山基紀(ふなやまもとき)

船山基紀(ふなやまもとき)さんは1951年(昭和26年)1月13日生まれの現在69歳で、東京都出身です。

2019年時点で編曲した曲は2700曲を超えており、歴代編曲家シングル総売上は小室哲哉さんに次いで2位となっています。



まとめ

松田聖子さんはアイドルとしてはもはや伝説化されており、ファンの間では「アイドルのお手本」と称されているようですね。

確かにそれだけの実力(歌唱力とアイドルとしてのカリスマ性)を備えていた、アイドルの中のアイドルでした。

そんな松田聖子さんの魅力をもう一段高みに上げていたのが、大村雅朗さんの編曲による歌のお蔭だったとは恥ずかしながら今まであまり知りませんでした。

ここに「松田聖子の育ての親」と言われる所以があるのですね。

職人気質で頑固で曲のためなら信念も曲げないほどの人ですが、ご本人が亡くなられた後のエピソードのお話を語ることを快諾する人の多さに、大村さんの人望の厚さを感じました。

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。

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