スタンハンセンの嫁(妻)の名前と顔写真は?馴れ初めが知りたい!

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スタンハンセンといえば、ブルーザーブロディとの超獣コンビであまりにも有名ですよね。

毎年の年末に開催されていた、全日本プロレスの「世界最強タッグ決定リーグ戦」では毎年優勝候補の筆頭でした。

そんなスタンハンセンですが、何と嫁(妻)との馴れ初めが面白いようです。

ハンセンの嫁(妻)との馴れ初めプロポーズ嫁(妻)の顔写真、盟友ブルーザーブロディとの関係、ハンセンのラリアットを最も食らった選手が誰か、などについて調べてみました!

是非最後までご覧下さいね。

スタンハンセンの嫁(妻)との馴れ初めが知りたい!

ユミ・ハンセンさん

スタンハンセンの嫁(妻)は、神奈川県大和市出身のユミさんという純粋な日本人です。

2人の出会いは、ユミさんがまだ予備校生をしていた18歳の頃でした。

スタンハンセンのサイン会にお友達と出掛けたユミさんでしたが、その時ナント、スタンハンセンに一目惚れされてしまうのです!(笑)

ハンセンは、いつもの試合中のパワフルなアプローチではなく、優しく丁寧に映画や食事に誘ってお互いの距離を埋めていったそうです。

いつしか2人は交際するようになり、ついには結婚に至りました。

1980年に2人は知り合い、その5年後の1985年に結婚されています。

しかしながら、当時すでにハンセンはバツイチ

前妻との間には男の子1人、女の子1人の親権を持った父親でもあったのです。

当然、ユミさんの家族からは猛反対にあいましたが、何度もユミさんのご実家に足を運ぶハンセンの誠意と人柄に、ユミさんのご両親も惹かれて遂にゴールイン!

上記の内容は、2014年6月30日に放送された『わたしの何がいけないの?』に出演したユミさんご本人が語った内容です。

ユミ・ハンセンのプロフィール

ユミさんは現在では米国国籍を取得していますが、日本生まれの日本育ちで、生粋の日本人です。

ハンセンのサイン会に出掛けたときには予備校生でしたが、バイトで通訳もされていたそうですから、ハンセンとのコミュニケーションには困らなかったでしょうね。

また、全身に持病や爆弾を抱えるハンセンを支えるために、40歳から専門学校に通って看護師資格を取得して、ハンセンが痛めた身体のケアをしてあげていたそうです。

実に素晴らしい夫婦愛ですし、完璧な家庭内日米同盟と言えますよね。



スタンハンセンのラリアットを最も食らった選手は誰?

しゃがれ声でお馴染みの天龍さん

酔拳に出てきそうな阿修羅原さん

スタンハンセンのラリアットを食らった数の多い選手は、天龍源一郎さんと阿修羅原さんの2人です。

天龍さんも阿修羅原さんも、身体能力が高く頑丈で回復力が早かったため、ハンセンもラリアットを打ち込みやすかったと、後日語っています。

確かに、天龍さん阿修羅原さんのお2人は何度もハンセンのラリアットを受けていましたし、ハンセンの魅力を引き立たせるような演技もしっかりこなしていました。

いろいろな意味で超一流のメンツだと思います。

天龍さんの声が潰れた原因の一つがこのライアットの食らい過ぎとも言われていますね。

あとは、喉への水平チョップなどでしょうか。

ともあれ、阿修羅原さんは意味もなく毎回毎回、ハンセンにロープに振られてラリアットを喰らう役割をしっかりとこなしていましたね(笑)

下の動画は、ハンセンvs阿修羅原戦のフィニッシュシーンです。

興味のある方はご覧になってみて下さい。

阿修羅原は身体も頑丈で、見事に失神してくれる演技派レスラーでしたから、ハンセンからのご指名と馬場社長からのインセンティブもきっと貰えてたのでしょう。

阿修羅原さんが亡くなられたのは非常に残念です。

大好きなプロレスラーの一人でした。心より合掌。



スタンハンセンとブルーザーブロディとの関係は?

ハンセンとブロディは超獣コンビとしてお互いにタッグパートナーでしたが、実はウエスト・テキサス州立大学の先輩と後輩の関係でもあります。

2人はもともとはアメフト選手で、しかもNFLでプレーしたほどの実力でした。

ハンセンやブロディほどの体格や実力でも怪我に泣かされて、アメフトを解雇された有名人も数多く居ます。

例えば、ボブ・サップなどもその1人ですね。

アメフト時代のボブサップ

ハンセンとブロディとの関係についてはいろいろと言われていますが、お互いにプロレスというビジネスで結びついた「モスト・ストロング」であり「グレート・パートナー」(ハンセン談)ということになるでしょう。

ハンセンはブロディをライバルとして意識したことはないと語っていますが、これは個人的には事実だろうと思っています。

ブロディがハンセンより3年先輩であるということを別にしても、お互いにプロレス観が違いますし、ブロディの気難しさは筋金入りです。

「もし私とブロディが同じ性格なら、こんなに長く一緒に居ることは出来なかっただろう」

<出典>Wikipedia

対戦相手が誰であろうとも負けブックを飲まないというのは、プロモーターからすれば扱いにくいキャラでしょうね。

試合中に困惑するアンドレ・ザ・ジャイアントが印象的でした。

猪木を持ち上げるアンドレ

しかも、ギャラにはやたらうるさいブロディさん。。

やはり、単純なビジネスパートナーだったのと思われます。



まとめ

スタンハンセンが日本のマット(新日本プロレス)に初来日したのは1975年のことです。

当時はまだ、日本に侵略してきた「憎き外国人レスラーvsそれを懲らしめる正義の日本人レスラー」のような構図が残っていた時代でした。

身体が一回りも二回りも大きなスタンハンセンを相手に、ジャイアント馬場やジャンボ鶴田が勝ったり負けたりを繰り返するのをみて一喜一憂している頃でした。

ビジネスとしてしっかりとヒールレスラー(悪役)を演じきり、あまりの強さにファンからは野次られる始末。

しかしながら、晩年にはほぼ全てのプロレスファンを虜にしていたスタンハンセンという男。

夭逝ブロディとともに、プロレスファンの記憶から消えることは無いでしょう。

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。

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