しらす(斉藤光輝)はラーメン一筋27年?ミニ丼の進化にマツコもビックリ!

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元号が平成から令和に変わった今でも、ラーメンブームの勢いは留まることを知りません。

「マツコの知らない世界」でも登場された、大和イチロウ(大和一朗)さんの仰るように、日本各地、取り分け地方で独自の進化と発展を続けてきました。

今回は「ラーメン」そのものというよりは、もともとサイドメニュー的な扱いだった「ミニ丼」。

「しらす」こと斉藤光輝さんはラーメンを年間500杯以上食べ歩くそうで、そのラーメン屋で人気のサイドメニューのミニ丼にスポットを当ててご紹介して下さるようです。

そこで、しらす(斉藤光輝)さんの経歴やプロフィール、

是非最後までご覧下さいね。

しらす(斉藤光輝)の経歴やプロフィールが知りたい!

「しらす」さんの本名はTwitterのアカウントそのまま斉藤光輝さんで、生年月日は分かりませんでしたが、年齢は現在49歳

これまでラーメンを食べ歩いた数はなんと18000店以上にもなるそうです!

ご本人が運営されているラーメンブログによれば以下のとおりです。

1990年頃、環七の伝説「土佐っ子ラーメン」に出会ったのをきっかけに、ラーメンの食べ歩きは20年以上になりました。2014年8月に、ラーメンの食べ歩きで47都道府県を制覇。ラーメン業界の最高権威と呼ばれるTRY(講談社)の審査員も務めています。

<出典>しらすのラーメンブログ

過去には「テレビチャンピオン極~KIWAMI~」(テレ東/BSジャパン)に出演されて「平成最後のラーメン王」に挑戦されています。

この時の優勝者は「小林孝允」さんという方です。

土佐江戸っ子ラーメンとは?

しらす(斉藤光輝)さんが影響受けたのは「土佐っ子ラーメン」というラーメンだったそうです。

1970~80年代にかけて、東京都板橋区常盤台1-58-3の環状七号線沿いにあったお店が元祖背脂チッチャ系「土佐っ子ラーメン」というお店です。

「ホープ軒本舗」の創始者である難波さんが始めた貸屋台業のうちの1つが後の「土佐っ子ラーメン」の原点となったようですね。

ラーメンブームの火付け役として絶大な人気を誇りましたが、バブル期の不動産による借金やパチンコによる借金など諸事情で初代店主は1990年代前半に故郷四国に帰ってしまったそうです。

現在残っている「土佐っ子ラーメン」は暖簾分けや、その流れを汲むお店です。

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しらす(斉藤光輝)のおすすめラーメンとミニ丼は?

サイドメニューのミニ丼で定番と言えば、チャーシュー丼カレー丼白髪ネギ丼などですが、番組では「焼きチーズ飯」「タコライス」などが紹介されるようです。

どちらも珍しいミニ丼な気がしませんか?

新宿の「らーめん 五ノ神製作所」さんて提供されているようです。

ラーメンが日本に登場したのはいつ?

明治維新(1868年)の頃はまだラーメン黎明期とも言える時代で、その数年後に横浜港が開港され、日本人の前に初めて「ラーメン」が姿を現しました。

今食べているような黄色い卵麺ではなく、白っぽい「冷や麦」とか「うどん」に近いようなものだったそうです。

日本最古のラーメンは何県の何ラーメン?

これまでの定説は東京浅草にあった「来々軒」(1910年)が日本最古のラーメン屋として有名でした。

しかしながら、最近の調べでは函館の「養和軒」(1884年)で、店主はイギリス領事館専属の料理人をされていた陳阿養という中国広東省の方だったそうです。

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しらす(斉藤光輝)のラーメンブログとTwitter

しらす(斉藤光輝)さんのブログには、ラーメンを食べたときの写真感想お店の情報(場所・営業時間・券売機など)が充実しています。

ブログは「しらすのラーメン日記」、Twitterは「しらす・斉藤光輝(@srsms)」です。

毎日ラーメンを食べる人なので、健康維持にも気を使っておられて、移動は可能な限り「自転車」を利用されるそうですだとか。

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まとめ

「新横浜ラーメン博物館」のHPによれば、ラーメンの歴史は年代ごとに幾つか分けられていて、それぞれ以下のようになるそうです。

●ラーメン夜明け前(1488年~1697年)
●ラーメン黎明期(1859年~1939年)
●ラーメン定着期(1945年~1955年)
●ラーメン発展期(1958年~1994年)
●ラーメン多様化期(1996年~2015年)

<出典>新横浜ラーメン博物館

私も幼い頃からラーメンは好きでしたし、シンプルな「中華そば」とか「支那そば」が好きでした。

ラーメン次郎とかデカ盛り系が出始めたときはビックリした記憶があります。

品川駅港南口から歩いて10分くらいのところにあった「ラーメン二郎」ですが、その量の多さを見て断念しましたね(笑)

ラーメンは本当にうまい具合に、日本食として世界にも認知されて今後益々進化を遂げるだろうと思います。

締まりのない締めくくりになってしまいましたが、ご参考になれば幸いです。

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。

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