ルビーの指環(寺尾聰)の低いキーを歌うコツは?売れた理由が凄い

俳優

昭和ポップス全盛の頃、俳優でありながらヒット曲を連発した寺尾聰(てらおあきら)さん。

トレードマークのレイバンのサングラス低音で、年代を問わず聴く人すべてが魅了されました。

そんな寺尾聰さんの最大のヒット曲である「ルビーの指環」はキーが低すぎて歌うのが辛いですよね。

過去に寺尾さんご本人が、楽に歌うコツを少しだけ教えてくれたことがありました。

今回は寺尾聰さんのルビーの指環の低いキーを歌うコツ大ヒットに関与した超大物俳優歴代の嫁(妻)ザ・サベージについて調べてみました。

是非最後までご覧下さいね。

寺尾聰の経歴とプロフィール

寺尾聰さんは俳優でもあり歌手でもありますが、もともとの来歴はGS(グループサウンズ)時代に組んでいたバンド「ザ・サベージ」でレコードデビューしました。

サベージ(Savage)というグループ名ですが、ステージ上の振舞いも歌い方もやたらジェントル過ぎる不思議なグループでした。

寺尾聰さんは1947年(昭和22年)5月18日生まれの現在72歳で、神奈川県横浜市の出身です。

1966年(昭和41)ヒットした名曲「いつまでもいつまでも」はザ・サベージの最大のヒット曲で、当時グループでベースを担当していました。

しかしながら、翌年の1967年に寺尾聰さんはグループを脱退し、ザ・サベージも1968年に解散

ルビーの指環の大ヒットや、どんな役でも渋くカッコ良く演じ切ってしまう寺尾聰さんが在籍していたこと、わずか3年余りの活動期間などで伝説化したグループでもあります。

寺尾聰さんはその後、ホリプロから石原プロモーションへ転籍しており、現在は「寺尾音楽事務所」という個人事務所に所属されています。

寺尾聰の父親も俳優?

寺尾聰さんは親子で俳優の二世タレントです。

父親の宇野重吉(うのじゅうきち)さんの年齢に近づくけば近づくほどソックリに見えます。

時々、寺尾聰さんと宇野重吉の不仲説が報道されることもありましたが、下のコメントを読めばデマだったことが分かります。

「100%、父である宇野重吉から教わった。外に出て教わった事はありません。自分の師匠であり、芝居の神だったのが、たまたま父だった。父であり、師匠であり、芝居の神である宇野重吉のおかげ

<引用>日刊スポーツ

宇野重吉さんは1988年(昭和63年)に73歳でお亡くなりになりました。

昭和天皇の重篤説が流れていた頃でもありましたね。

寺尾聰の元嫁(妻)も女優?現在の嫁(妻)は?

寺尾聡さんの最初の嫁(妻)范文雀(はんぶんじゃく)さんという、台湾出身の女優さんでした。

寺尾さん26歳のときにご結婚されました。

しかしながら、長続きはせず数年後に離婚。

范文雀さんは2002年に54歳の若さで心不全で亡くなられています。

特捜最前線やGメン75などに出演された、めちゃくちゃ綺麗な女優さんでした。

范文雀さんの従妹の余貴美子(よきみこ)さんも女優さんで、最近放送が始まった人気ドラマ「家政夫のミタゾノ」にも出演されています。

范文雀さんと結婚する前はジュディオングさんを口説き落としたり、現在の奥様である星野真弓さんは当時19歳でしたが、結婚前に妊娠が発覚してしまいます。

星野真弓さん

「若い頃は手がつけられないほどヤンチャ」だったとのこと…。

やっぱりSavage??

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ルビーの指環(寺尾聰)の低いキーを歌いこなすには?

寺尾聰さんといえば、上のツイート動画のイメージです。

低音が魅力なのですが、曲の歌い出しからキーが低いのでカラオケ好きの人でも苦労するのではないでしょうか。

実は作曲した寺尾聡さんも何度も歌わなければならないときは、キーを少し変えて歌っていたようです。

カラオケで歌う時のポイントは、一般男性で原曲より「+2」くらい、低音が出る男性で「+1」程度キーを変えるのがオススメとのこと。

「実はベストテンとかトップテンなどで歌うときは、原曲よりも1オクターブ高くしてたんですよ(笑)」…(中略)…「1日に10曲以上も歌う頃があって、そんときはね、キーを少し上げてたんです」

<引用>オリコン

寺尾聡さんのルビーの指環をカバーしている人も沢山いますが、その中でも低音が得意な福山雅治さんが一番上手な気がしますね。

少し話は逸れますけど、寺尾さんが歌っているビール(プライムリッチ)のCMの曲「ラストダンスは私に」をフルで聴きたいのですがリリースされていないのでしょうか??

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ルビーの指環(寺尾聰)のヒットに関与した超大物俳優とは?

ルビーの指環が世に出るきっかけを作ったのは石原裕次郎さんです。

所属プロダクションの専務から「お経みたいな曲」とか「ばかばかしい」と酷評された曲が、後に160万枚という凄まじい大ヒット曲となりました。

実際に曲を聴いた石原裕次郎さんから「いいんじゃないの」という鶴の一声で楽曲化が決定し、リリースから1年足らずでヒットチャートの1位を獲得。

石原裕次郎さんも低音が魅力の「ブランデーグラス」が大ヒットしたので、イケると思ったのかもしれません。

石原裕次郎さんには感謝しつつも、この頃から寺尾さんと石原プロとの関係がおかしくなっていったようです。

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まとめ

穏やかで物静かなイメージの強い寺尾聰さんですが、演技や歌には人一倍強いこだわりを感じますね。

ルビーの指環が爆発的ヒットを続けていた時期に、石原プロを実質的に解雇になっています。

その後は持ち前の演技力で俳優としての地位を確立されました。

渡瀬恒彦さんが亡くなられた後に、『警視庁捜査一課9係』(テレ朝)の班長として寺尾さんが急遽出演し、最終回まで演じ切ったのは非常に印象深いです。

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。

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